入谷 朝顔まつり

入谷 朝顔まつり

入谷 朝顔まつり

ご挨拶

入谷朝顔まつり(朝顔市)は毎年7月の6・7・8日の3日間開催します。
この朝顔まつりは、入谷鬼子母神を中心として言問通りに60軒の朝顔業者と80軒の露店(縁日)が並び、毎年40万人の人出で賑わいます。
お蔭様で入谷朝顔まつりも今年で68年目を迎えることとなります。
これも東京都を初めとする関係各位のご指導とご理解あるお力添えの賜と深く感謝し、厚く御礼申し上げます。
これからも、地域の発展と皆様に安全で楽しい、そして愛される下町の風物詩として盛り上げて参りますので、今後共宜しくお願い申し上げます。

朝顔まつり開催期間中は会場周辺の路上パーキングメーター及びパーキングチケットは休止になりますので、なるべく公共交通をご利用ください。
また、朝顔まつり会場内ではドローンなどの小型無人機は使用できません。

開催日
TOPICS&NEWS
  • 2016.07

    平成28年度・入谷朝顔まつり終了

    たくさんの方にご来場いただき、盛大に実施することができました。心より感謝申し上げます。

  • 2016.06

    いよいよ来月開催!!

    平成28年7月6日(水)、7月7日(木)、7月8日(金)開催!!
    17時~21時までは歩行者天国となりますが、21時を過ぎますと清掃車が入り、21時30分には車両通行となりますのでご注意ください。
    安全性の配慮からドローンなどの無人航空機などの使用は禁止しております。

  • 2016.04

    開催日のお知らせ

    2016年朝顔祭りは7月6日(水)、7月7日(木)、7月8日(金)の実施となります。オリンピックでは朝顔のデザインは採用されませんでしたが、入谷朝顔祭りは盛り上がってまいりますので、奮ってお越しくださいませ。

  • 2016.04

    入谷朝顔まつり(朝顔市)公式ホームページ リニューアル

    入谷朝顔まつりの最新情報をお届けします。

History

 

朝顔について

 朝顔はヒルガオ科の一年草であり、ツルは左巻きです。原産地は熱帯アジアか、西南中国からヒマラヤにかけての暖かい山麓地帯ではないかと言われています。

 そして朝顔は今から千百年以上も前の奈良時代に中国から遣唐使によって我が国に伝来したと言われています。当時はこの朝顔の種子と言うものが大変貴重な漢方薬として珍重され下剤用として使われていたようです。また薬として入って来た朝顔が今のような鑑賞用として栽培されるようになったのは江戸時代に入ってからの事です。

 さらに朝顔の種のことを中国名で牽牛子「ケンゴシ」または「ケニゴシ」と言い、和名を阿佐加保と書き後に朝に咲く花である事から朝顔と言われるように成ります。また朝顔はケンゴシの花と言う事で別名を牽牛花(けんぎゅうか)とも言われています。牽牛花と言いますのは、七夕の牽牛・淑女の、牽牛の花と書くので、朝顔市は七夕の前後の三日間、開催されるようになました。

朝顔まつり(朝顔市)沿革

 朝顔まつり(朝顔市)は毎年七月の六日から八日までの三日間開催します。この朝顔市と言いますのは、入谷鬼子母神を中心として、言問通りに百二十軒の朝顔業者と百軒の露店(縁日)が並び、毎年四十万人の人出で賑わいます。

 この入谷の朝顔が有名になったのは江戸末期の文化・文政の頃です。最初は御徒町の下級武士、御徒目付の間で盛んに栽培されておりましたものが、御徒町の発展と江戸幕府の崩壊に伴いまして、入谷に居りました十数件の植木屋が造るようになります。そしてその出来栄えが大変素晴らしかったので、明治中期になりますと、往来止めをしたり、木戸銭を取って見せるほど有名になります。なぜ入谷の朝顔がこんなに盛んになったのかと言いますと、入谷田圃の土が朝顔造りに適していたこともありますけれども、当時流行しました朝顔と言いますのは「変わり咲き」です。この「変わり咲き」と言いますのは朝顔の花が、桔梗の花のように咲いたり、牡丹の花のように咲いたり、二重に咲いたりして、花粉の交配によって色々な花を咲かせる事ができたので、最盛期には一千種類もの朝顔があり、変化にとんだ花を咲かせ楽しませてくれてたのであります。

 もちろん現在のような丸い朝顔も江戸末期には大輪咲き朝顔とし盛んに栽培されておりましたが、変化咲き朝顔の不思議な美しさが江戸の人々にブームを巻き起こします。当時の模様を下谷繁盛記(大正三年明治教育社発行)によって観ますと、「入谷の朝顔の全盛を極めたりしは、明治二十四・五年頃にして、其の頃は、朝顔を造る植木屋十数件を数え、入谷の通りは、毎朝、往来止めとなる程なりし也。殊に、当時は、周囲一面の蓮田を廻らしたれば、涼しき朝風に吹かれ乍ら、朝顔を見又蓮の花を見るを得たり敷かば、観客頗る多く、非常の盛況を呈したり。」と記載されております。また、明治二十年七月五日発行の朝野新聞には、「府下にて朝顔の名所といえば誰も入谷たることを知る位なるが、同商も追々欧州植物培養の方法に倣い近年は頗る進歩し、昨年の出来に比較すれば、本年は余程の上出来にて、来る十五日より縦覧さする由なるが、本年は品数も数百種の多きに及び、頗る見事なるべしといえば、朝寝坊先生は早起きして此の美花を観玉へ。」とあるぐらい有名に成ります。

 ところが、このように大変盛んに造られておりました入谷の朝顔も、世情が怪しくなって来ました大正二年意地づくで踏み留まっていた植松(植木屋)の廃業を最後に、とうとう入谷の地から姿を消してしまいます。それに伴い変化朝顔もいつしか人々から忘れられて現在のような円形の朝顔えとその主流は変わって行きます。そしてそれから三十五年立ちました昭和二十三年、戦後のすさんだこの世の中を少しでも明るくしようと言うことで、地元有志の方と下谷観光連盟(昭和25年)の協力を得て、江戸情緒豊かな夏の風物詩、入谷の朝顔市が復活したのであります。

入谷鬼子母神の由来(真源寺)

 入谷鬼子母神は満治二年(一六五九年)静岡県沼津にあります大本山光長寺の第二十世高運院日融上人が、本山に勧請してございました一寸八分の御木像の鬼子母神様を持ち、江戸に出て、現在の地に仏立山・真源寺を建立し開基と成ります。この鬼子母神像と言いますのは大本山光長寺の開基である彫刻の名手、中老僧日法聖人が彫られ、師匠でございます日蓮聖人が開眼せられたと伝えられています。

 またこの鬼子母神様は俗に「恐れ入谷の鬼子母神」と言われ、その由来については當山にあります縁起に、「さる大名家の奥女中が腰に腫れ物ができてしまい医者に見放されてしまったが、入谷にある鬼子母神が大変御利益があると言うので、二十一日間の願をかけ毎日お参りをしていたところ、満願の日の帰りに、橋でつまづき欄干のえぼしに腰を打ち付けてしまった事で、腫れ物の口が破れて膿が出てしまい、時をへずして全治した」とあります。これを江戸の中期に活躍しました狂歌師でございます太田蜀山人が聞き付け、その御利益に恐れ入ったと言うことで「恐れ入谷の鬼子母神」と洒落言葉で言ったのが江戸っ子の間で流行になり現在までも使われています。

鬼子母神様について革

 鬼子母神様は法華経の陀羅尼品と言うお経に出てまいります仏教の神で、仏教説話によりますと、人の子をさらっては食べていた夜叉で御座いましたが、その悪行がお釈迦様の知るところとなり、お釈迦様は鬼子母神を戒めるために、末っ子のピンガラを隠してまいます。自分の子供が居なくなった鬼子母神は気違いのようになって捜し回ります。ところがどこを捜しても子供は見つからずとうとうお釈迦様に救いを求めに行きます。するとお釈迦様は鬼子母神に対し、おまえは数多くの子供が居るにもかかわらずたった一人の子供が居なくなってもこの様に悲しむのに、ましてや何人も居ない子供をさらわれた親の悲しみが、どれほど深いものか解るかと諭され、我に返った鬼子母神はそれからは悪行をやめ、仏教に帰依します。そしてお釈迦様に対し法華経を信仰する人を守りますと誓いをたてられます。それからの鬼子母神様は苦しい修行にも耐えて、ついに法華経の守護神となり、また母親と子供を護る仏教の神として信仰されるまでになります。ですから鬼子母神様は法華経を主として唱えているお寺さんでしたら勧請してございますが、その中でも入谷の鬼子母神と中山の鬼子母神と雑司ケ谷の鬼子母神とが霊験あらたかな事から古来より江戸三大鬼子母神と言われています。

Care

 

朝顔のお手入れ法について

 朝顔は南方の花ですので、永い日照が大切であり、夜露に当てる事も必要です。水は一日二回ほど日中葉が垂れ下がった時にやって下さい。出来れば汲み置きの水か、米のとぎ汁なら最適です。

 肥料はお買い上げの朝顔鉢の土にまぜてありますが、腐葉土や水肥などを必要に応じて施しても結構です。

 朝顔の花を永くお楽しみ頂くためには九月上旬頃までは花がしぼんだ時点で摘み取って種子をつけないようにして下さい。来年のための種子は9月中旬頃に咲いた花で採るようにして下さい。

 折角お買い上げになられた朝顔です心にとめて可愛がってお育て下さい。

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